インタビュー
掲載日:2023年6月8日
今回のインタビューは、新潟県新発田市の株式会社花安 渡辺社長です。
葬儀社だけでなく、ブルワリーを経営されるなど幅広い事業を手掛けられているのが特徴の同社。
渡辺様が考える地域密着とは何なのか?詳しくお話を伺いました。
早速ですが、渡辺様のこれまでのご経歴を伺えますでしょうか。
渡辺:私は大学卒業後、3年ほど福島県内の高校で英語教師をしていました。
英語が好きだったこともありますし、高校時代から始めたバレーボールを社会人になっても続けたいと思っていて、高校の教師だったら両方とも出来るのではないかと考えたからでした。
また、花安の社長である父は、楽しそうに仕事をしてはいましたが、24時間365日いつ依頼が入るか分かりませんし、真夜中に呼び出しの電話で起こされることもしょっちゅうでした。
そんな姿を見て育った私は「こんな働き方は嫌だな」と思っていたことも高校教師を選んだ理由の1つです。
父には幼い頃から「好きなことをやりなさい」と言ってもらっていましたから、その影響もあったと思います。
バレーボールを中心に就職先を決めるほどお好きなんですね!
そんな中で家業の葬儀社を継ごうと考えられた理由はなんだったのでしょうか。
渡辺:英語教師として働いていた際、帰省してお墓参りに行きました。
そこで墓石の脇に置かれている霊標(※)や、仏壇に入っている過去帳を見ると、ずらりと戒名が書かれているんです。
当社は葬儀社としては私が3代目ですが、歴史は1598年までさかのぼることができ、16代を数えます。
※霊標:墓石とは別に、故人の名前や戒名を刻んだもの。
16代ということは、徳川将軍家より長いですね!
渡辺:そうなんです。
たくさんの先祖の戒名が並んでいるのを見て「もしも私が花安を潰してしまったり、家業を継がなかったら先祖と同じ墓に入れないなぁ」とか「自分が花安を途絶えさせるのは嫌だなぁ」なんて考えてしまいました。
これだけたくさんいるご先祖様に、顔向けが出来ないと思ったんです。
また、幼少期から「お葬式の時は花安さんがいるからね」と言われてきましたから、そのように長く地域に根付いて葬儀を行ってきた会社をなくしてしまうのは、地域の方々にも申し訳ないな、とも考えました。
そんな事を考えていたら自然と「花安の名前を途絶えさせたくない、俺が継ぐしかないか」と思えたんです。
今思えば、父は会社の理念である「縁」を特に大切にしていますから、私も無意識のうちに同じような考えを持つようになったのかもしれません。
そこで一念発起し、高校教師から花安の葬祭ディレクターとして働き始めました。
どうせやるなら今よりも会社の状況を良くしたいと思っていたのですが、ただ葬祭ディレクターとして働いているだけでは一向に会社の状況は変わりませんでした。
色々と考えた結果、このまま私が葬祭ディレクターを続けていても仕方がないという結論に至り、そこから大学院に入学して経営学の勉強をし、当社の経営に反映できる知識を身につけることにしたんです。
社会人になってから改めて大学院に通うというのはとても大変そうですね。
渡辺:そうですね。当時は必死で、思い返すと大変な期間でした。
MBA(経営学修士)を取得してからは、自分がこうだ!と思うことをどんどんやっていくことにしました。
社外に出てうまくいっている人の話をたくさん聞いたり、実際に見たりしながら、自分の中に体系的な理論を作り経営に反映させました。 そうしたら少しずつ成果を実感できるようになったんです。
この頃からIT化も推進していきました。
手始めに、これまでは社員が手書きしていた書類をデータ化し、入力の手間が省けるものを作りました。
そして、まずは先輩社員に使ってもらって、導入テストを行いました。
このような業務が効率化できれば残業も減らすことができます。社員の残業が減って早く帰宅できれば家族との時間や、プライベートの充実が図れます。
それに、実は私としても「ちょっとでも早く仕事を終えてバレーボールの練習に行きたい」と思っていたのもIT化を推進した大きな理由でした。
渡辺様自身がプライベートを充実させたいというお考えから、IT化が進んだんですね。
導入後、社員の皆さんの反応はいかがでしたか。
渡辺:最初に使ってもらった先輩社員からは「すごくいいね!」と高評価をいただきました。
そうすると、社内で自然と評判が広がって、1人、また1人と使ってくれる人が増え、結果的には社員みんなが使うようになりました。
「システムのおかげで仕事が早くなったよ」と言ってもらえることもありましたね。
こうした反響で手ごたえを感じられたこともあり、他にもどんどんやっていこうと、プランニングのやり方を変えてみたり、県外へ出張に行って様々な葬儀社さんのお話を伺って新しいアイディアを取り入れたりもしました。
ただ、こうした新しい取り組みをする上でハードルになったのが、父である先代社長の存在でした。
意見の対立があったということでしょうか。
渡辺様はそれをどのように乗り越えられましたか。
渡辺:私も父も、会社を大切にしたいという想いは共通しています。
ただ、それぞれやり方が違う事も多いので、おっしゃる通り意見のぶつかり合いはしょっちゅうでした。
それも今思えば、まだしっかりとした結果を出していない私が相手なのですから、仕方のないことだったように思います。
それが次第に、父の影響の外側で私の顔が売れてきたことで、状況が好転してきました。
例えば、月岡温泉を盛り上げたいと立ち上げた「月岡ブルワリー」や、お土産の販売やイベントを行う「寺町たまり駅」では、それぞれ一定の成功を収めることが出来ています。
そうすると、他社の経営者が「彼はすごいね、ちゃんと実績上げてるね」という風に私を褒めて下さるようになったんです。
このような声が父の耳にも届いて、きっと鼻が高いと感じてくれることもあったのかなと思うと同時に、意外とやるなと見直してくれたような気がします。
社内改革できちんと結果を残すことと、新しい事業で成功することの二つによって、父とはある程度対等になれたと思いますし、新しいチャレンジがしやすくなったように感じています。
渡辺:最初の頃は、会社の歴史が長いからこそ、こうじゃないといけないという強い思い込みがありました。「葬儀社なんだから葬儀をやっていればいい」という先入観ですね。
ところが、我が家について調べてみると、昔はお茶の販売をしていたことを知りました。そこで社長に、葬儀以外の事業をやってはいけないのか?と聞くと、別にそんなことはないよと。その言葉にはかなり背中を押されました。何をやってもいいんだと。
発見したわけですね。
渡辺:そうです。
ただ、何も考えずに手当たり次第にやればいいというわけではなく、ブレない軸に基づいた事業展開が必要だと考えて、まずは家族会議で意識を統一するところからスタートしたんです。
私は流行も好きですから、追いかける事もあります。ですが、根幹として大事なところはしっかり持たなければいけない。それは何なのか?と考えたら、もともと私達が大事にしてきたこと、それが理念になるよねという話になりました。
綺麗で見栄えの良い理念を掲げたところで、その動きを社長ができなければ後ろ指を指されてしまいます。
結局、リーダーシップで1番影響力を発揮するのは、やはりリーダーの行動ですから、無理なく自然と行うことのできる行動を大切にしたいな、と考えたんです。
なるほど、それで以前から大切にされていた「縁」を盛り込んだ理念とされたのですね。
渡辺:そういうことですね。
「月岡ブルワリー」も「寺町たまり駅」も、人と人を繋ぐという意味で同じことを事業として進めているんだよ、ということなんです。
ですから、どちらも間接的な接客ではなく、スタッフにもお客様と積極的に会話を楽しんでほしいと思っています。スタッフのファンができて、あの人の接客いいよね、といった評判が立ってくれるのが理想ですね。
それは葬祭事業でも全く同じで、お客様との距離感を大切にしてほしいと思っています。
お客様との距離感が近く、アットホームな雰囲気の方が当社にはマッチするはずです。
以前は大手葬祭会社のやり方を真似たこともあったのですが、大手では出来ないことをやるというのが、我々のような中小企業の役割だと考えるようになりました。
そういった意味でも、お客様との縁、お客様との距離感は大切にしている要素なんです。
それだけでなく、地域経済の縁も大切にしたいと考えています。
例えば、返礼品などは地元のギフト屋さんにお願いしたり、可能な限り地元で頼めるものは地元で頼むということを大切にしています。
地元以外にお願いしてばかりだと、この地域の経済がどんどん縮小してしまいます。ひいては新発田の人口が減って、雇用も減っていってしまうはずです。
このように、地域の経済規模が小さくなってしまった時、お金がかけられなくなるところはどこだろう?と考えると、葬儀や結婚式など冠婚葬祭に関することが真っ先に浮かびます。
だからできるだけ地元で、地域密着して地域還元するということを意識しています。
地域還元することが、渡辺様の考える地域密着の形なんですね。
渡辺:はい、ですから一見すると全く関連性が無いように見える「月岡ブルワリー」も「寺町たまり駅」も、地域還元を大切にしているという点でも共通しています。
また、先ほどお話した通り、経済規模の維持だけでなく新発田市の外からもたらされる外貨の獲得もとても大切です。「月岡ブルワリー」や「寺町たまり駅」ではそういった外貨獲得という形の地域還元を目指しているんです。
こうして地域還元をすることは、地域経済の一部になること以外にも利点があります。
それは、より親しみを持っていただきやすいということです。
お客様との距離感を大切にする当社にはぴったりだと思っています。
ありがとうございます。
葬儀社だけでなく、ブルワリーを経営されるなど幅広い事業を手掛けられているのが特徴の同社。
渡辺様が考える地域密着とは何なのか?詳しくお話を伺いました。
株式会社花安
代表取締役社長 渡辺 安之さん
高校教師から家業である葬儀社での葬祭ディレクターに転身。
葬儀に囚われない様々な事業に挑戦している。
代表取締役社長 渡辺 安之さん
高校教師から家業である葬儀社での葬祭ディレクターに転身。
葬儀に囚われない様々な事業に挑戦している。
高校教師から一念発起!渡辺様のキャリアに迫る
本日はどうぞよろしくお願いいたします。早速ですが、渡辺様のこれまでのご経歴を伺えますでしょうか。
渡辺:私は大学卒業後、3年ほど福島県内の高校で英語教師をしていました。
英語が好きだったこともありますし、高校時代から始めたバレーボールを社会人になっても続けたいと思っていて、高校の教師だったら両方とも出来るのではないかと考えたからでした。
また、花安の社長である父は、楽しそうに仕事をしてはいましたが、24時間365日いつ依頼が入るか分かりませんし、真夜中に呼び出しの電話で起こされることもしょっちゅうでした。
そんな姿を見て育った私は「こんな働き方は嫌だな」と思っていたことも高校教師を選んだ理由の1つです。
父には幼い頃から「好きなことをやりなさい」と言ってもらっていましたから、その影響もあったと思います。
バレーボールを中心に就職先を決めるほどお好きなんですね!
そんな中で家業の葬儀社を継ごうと考えられた理由はなんだったのでしょうか。
渡辺:英語教師として働いていた際、帰省してお墓参りに行きました。
そこで墓石の脇に置かれている霊標(※)や、仏壇に入っている過去帳を見ると、ずらりと戒名が書かれているんです。
当社は葬儀社としては私が3代目ですが、歴史は1598年までさかのぼることができ、16代を数えます。
※霊標:墓石とは別に、故人の名前や戒名を刻んだもの。
16代ということは、徳川将軍家より長いですね!
渡辺:そうなんです。
たくさんの先祖の戒名が並んでいるのを見て「もしも私が花安を潰してしまったり、家業を継がなかったら先祖と同じ墓に入れないなぁ」とか「自分が花安を途絶えさせるのは嫌だなぁ」なんて考えてしまいました。
これだけたくさんいるご先祖様に、顔向けが出来ないと思ったんです。
また、幼少期から「お葬式の時は花安さんがいるからね」と言われてきましたから、そのように長く地域に根付いて葬儀を行ってきた会社をなくしてしまうのは、地域の方々にも申し訳ないな、とも考えました。
そんな事を考えていたら自然と「花安の名前を途絶えさせたくない、俺が継ぐしかないか」と思えたんです。
今思えば、父は会社の理念である「縁」を特に大切にしていますから、私も無意識のうちに同じような考えを持つようになったのかもしれません。
そこで一念発起し、高校教師から花安の葬祭ディレクターとして働き始めました。
どうせやるなら今よりも会社の状況を良くしたいと思っていたのですが、ただ葬祭ディレクターとして働いているだけでは一向に会社の状況は変わりませんでした。
色々と考えた結果、このまま私が葬祭ディレクターを続けていても仕方がないという結論に至り、そこから大学院に入学して経営学の勉強をし、当社の経営に反映できる知識を身につけることにしたんです。
社会人になってから改めて大学院に通うというのはとても大変そうですね。
渡辺:そうですね。当時は必死で、思い返すと大変な期間でした。
MBA(経営学修士)を取得してからは、自分がこうだ!と思うことをどんどんやっていくことにしました。
社外に出てうまくいっている人の話をたくさん聞いたり、実際に見たりしながら、自分の中に体系的な理論を作り経営に反映させました。 そうしたら少しずつ成果を実感できるようになったんです。
この頃からIT化も推進していきました。
手始めに、これまでは社員が手書きしていた書類をデータ化し、入力の手間が省けるものを作りました。
そして、まずは先輩社員に使ってもらって、導入テストを行いました。
このような業務が効率化できれば残業も減らすことができます。社員の残業が減って早く帰宅できれば家族との時間や、プライベートの充実が図れます。
それに、実は私としても「ちょっとでも早く仕事を終えてバレーボールの練習に行きたい」と思っていたのもIT化を推進した大きな理由でした。
渡辺様自身がプライベートを充実させたいというお考えから、IT化が進んだんですね。
導入後、社員の皆さんの反応はいかがでしたか。
渡辺:最初に使ってもらった先輩社員からは「すごくいいね!」と高評価をいただきました。
そうすると、社内で自然と評判が広がって、1人、また1人と使ってくれる人が増え、結果的には社員みんなが使うようになりました。
「システムのおかげで仕事が早くなったよ」と言ってもらえることもありましたね。
こうした反響で手ごたえを感じられたこともあり、他にもどんどんやっていこうと、プランニングのやり方を変えてみたり、県外へ出張に行って様々な葬儀社さんのお話を伺って新しいアイディアを取り入れたりもしました。
ただ、こうした新しい取り組みをする上でハードルになったのが、父である先代社長の存在でした。
意見の対立があったということでしょうか。
渡辺様はそれをどのように乗り越えられましたか。
渡辺:私も父も、会社を大切にしたいという想いは共通しています。
ただ、それぞれやり方が違う事も多いので、おっしゃる通り意見のぶつかり合いはしょっちゅうでした。
それも今思えば、まだしっかりとした結果を出していない私が相手なのですから、仕方のないことだったように思います。
それが次第に、父の影響の外側で私の顔が売れてきたことで、状況が好転してきました。
例えば、月岡温泉を盛り上げたいと立ち上げた「月岡ブルワリー」や、お土産の販売やイベントを行う「寺町たまり駅」では、それぞれ一定の成功を収めることが出来ています。
そうすると、他社の経営者が「彼はすごいね、ちゃんと実績上げてるね」という風に私を褒めて下さるようになったんです。
このような声が父の耳にも届いて、きっと鼻が高いと感じてくれることもあったのかなと思うと同時に、意外とやるなと見直してくれたような気がします。
社内改革できちんと結果を残すことと、新しい事業で成功することの二つによって、父とはある程度対等になれたと思いますし、新しいチャレンジがしやすくなったように感じています。
渡辺様が考える「地域密着」は「地域還元」
今「月岡ブルワリー」や「寺町たまり駅」の名前が挙がりましたが、このような葬儀とは全く異なる事業にチャレンジしたきっかけは何だったのでしょうか。渡辺:最初の頃は、会社の歴史が長いからこそ、こうじゃないといけないという強い思い込みがありました。「葬儀社なんだから葬儀をやっていればいい」という先入観ですね。
ところが、我が家について調べてみると、昔はお茶の販売をしていたことを知りました。そこで社長に、葬儀以外の事業をやってはいけないのか?と聞くと、別にそんなことはないよと。その言葉にはかなり背中を押されました。何をやってもいいんだと。
発見したわけですね。
渡辺:そうです。
ただ、何も考えずに手当たり次第にやればいいというわけではなく、ブレない軸に基づいた事業展開が必要だと考えて、まずは家族会議で意識を統一するところからスタートしたんです。
私は流行も好きですから、追いかける事もあります。ですが、根幹として大事なところはしっかり持たなければいけない。それは何なのか?と考えたら、もともと私達が大事にしてきたこと、それが理念になるよねという話になりました。
綺麗で見栄えの良い理念を掲げたところで、その動きを社長ができなければ後ろ指を指されてしまいます。
結局、リーダーシップで1番影響力を発揮するのは、やはりリーダーの行動ですから、無理なく自然と行うことのできる行動を大切にしたいな、と考えたんです。
なるほど、それで以前から大切にされていた「縁」を盛り込んだ理念とされたのですね。
渡辺:そういうことですね。
「月岡ブルワリー」も「寺町たまり駅」も、人と人を繋ぐという意味で同じことを事業として進めているんだよ、ということなんです。
ですから、どちらも間接的な接客ではなく、スタッフにもお客様と積極的に会話を楽しんでほしいと思っています。スタッフのファンができて、あの人の接客いいよね、といった評判が立ってくれるのが理想ですね。
それは葬祭事業でも全く同じで、お客様との距離感を大切にしてほしいと思っています。
お客様との距離感が近く、アットホームな雰囲気の方が当社にはマッチするはずです。
以前は大手葬祭会社のやり方を真似たこともあったのですが、大手では出来ないことをやるというのが、我々のような中小企業の役割だと考えるようになりました。
そういった意味でも、お客様との縁、お客様との距離感は大切にしている要素なんです。
それだけでなく、地域経済の縁も大切にしたいと考えています。
例えば、返礼品などは地元のギフト屋さんにお願いしたり、可能な限り地元で頼めるものは地元で頼むということを大切にしています。
地元以外にお願いしてばかりだと、この地域の経済がどんどん縮小してしまいます。ひいては新発田の人口が減って、雇用も減っていってしまうはずです。
このように、地域の経済規模が小さくなってしまった時、お金がかけられなくなるところはどこだろう?と考えると、葬儀や結婚式など冠婚葬祭に関することが真っ先に浮かびます。
だからできるだけ地元で、地域密着して地域還元するということを意識しています。
地域還元することが、渡辺様の考える地域密着の形なんですね。
渡辺:はい、ですから一見すると全く関連性が無いように見える「月岡ブルワリー」も「寺町たまり駅」も、地域還元を大切にしているという点でも共通しています。
また、先ほどお話した通り、経済規模の維持だけでなく新発田市の外からもたらされる外貨の獲得もとても大切です。「月岡ブルワリー」や「寺町たまり駅」ではそういった外貨獲得という形の地域還元を目指しているんです。
こうして地域還元をすることは、地域経済の一部になること以外にも利点があります。
それは、より親しみを持っていただきやすいということです。
お客様との距離感を大切にする当社にはぴったりだと思っています。
ありがとうございます。